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結局は、署までわざわざ呼んだ一番の目的、目撃者にあたる奥様がたが隣りの部屋からマジックミラー越しに見ることでの首実検してもらったところが、どのお人もあんな二枚目じゃなかったと口々に否定をし、ややこしい疑いもあっさりと晴れた。
『ああまではっきりとした特長があれば言ってます。』
『そうよそうよ。』
『金髪に青い眸だなんて大きな特徴を、言い忘れると思ってますの?』
『あんな、芸能人みたいな美形なら、
どんなに隠れたって目立ってしょうがないじゃないの。』
ああまでのイケメンを困らせるだなんてとんでもないということか、口々に非難まがいの言われようをしたらしい、そちらで聞き取りを担当していた刑事が這う這うの体で抜けて来ての伝達をし。それも一応と猫を見てもらったところが、
『まあ、かわいいvv』
『でも、全然違うわよ。』
『そうそう、この子はメインクーンでしょう?』
『あの男が連れてたのはアメショっぽかった。』
『はあ?』
アメリカンショートヘア。えっと、どう言やいいのかしら。虎猫の縞模様が黒いっていうか、そうそう、それよそれ。それもミックスぽかったしね。みっくす? 雑種ってことよ。ははあ…と。そんなやり取りがあっての後、
「帰っていいよと解放されまして。」
あはは、酷い目に遭いましたと笑った七郎次。タクシーを拾っての大急ぎで戻ったが、タッチの差で先に屋敷へ戻っていたのが勘兵衛の側。連絡もせずに留守にしてすいませんと、大急ぎでお茶の支度なぞ整えて。なぜまた、勘兵衛のいない間の留守居を放っぽりだしたかを…出来るだけ穏便に語ったところが。やはり連れて来ていた編集の、七郎次にも馴染みの深い、林田平八という青年が、まずはと不満を爆発させた。
「あははじゃないですよ、シチさんっ。」
「は、はい?」
向こうが間違えたんですよ、大体そもそもの連れ出しようにしたって、強引が過ぎませんか? 無実と判ったその折も、どうせ“もういいから”とか、用はないからってな身勝手な言いようされたんでしょう? 人違いだったこと、謝ってもくれないままに。
「その両方を抱き合わせて、さんざんゴネてやりゃあよかったんですよ。」
「そ、そんな。」
警察の代理のように、微妙に及び腰になった七郎次へ、追い打ちかけての凄むように畳み掛け、
「もっとしっかりゴネてゴネて。いっそ鼻っ柱を折ってやりゃあよかったんです。」
警察が相手でも、いやさそれだからこそ、過ちは認めさせなけりゃあ示しがつかない。もはや官憲の時代じゃあないんですよ? 日本の刑罰が“自由を縛り制限する量刑”な以上、人の権利や尊厳やらを踏みにじられたなら戦わなくちゃ…と。何やら熱く語るものだから、
「…どしたんです、ヘイさんてば。」
日頃はもっとこう、温厚で穏当なお人なのにと、勘兵衛へこそっと尋ねてみれば、
「なに、明日の創刊パーティーで、初めての進行を任されとるのよ。」
それで妙に気負っていたらしいと、小声で教えてくれはしたけれど。その勘兵衛もまた様子が変ではなかろうか。
「…勘兵衛様?」
「なんだ。」
「もしかして、勘兵衛様も怒っておいででは?」
林田がそうなように声を荒げるでもなく。目許尖らせ、口許曲げるというような、見てそれと判るような、恐ろしい顔つきにこそなってもないが。むっつりと黙りこくったままの彼であり。
「怒ってなぞおらぬ。」
「いいえ、怒っておいでだ。」
そうと指摘した七郎次が、それもまた私の不徳の致すところですねと、そうと引き取りたいような、しゅんとした態度になったものだから。
「…っ。」
それが尚増す 気に障ったらしい。子供の拗ねようにも似ている態度で、ふいっと視線を逸らしてしまわれる。この自分がそれはそれは信頼している、大切にしている七郎次を、聞いた情報だけで悪党と決めつけた挙句そのように軽んじた連中への腹立ちと、なのにそんな腹立ちも自分のせいだなどと言い出す彼だったことと。そしてそんな間違いを犯させた自分へも、ちょっとは腹が立ったらしいのが丸判り。
“…おや。”
リビングのソファーセットのそれぞれへ、向かい合っての座していた 彼らの醸す雰囲気が重くなったので、これは…と林田までもがその熱血熱弁を引っ込めてしまい、
“作品の中での論旨や、難癖つけて来る批評家へは、結構な理屈や態度を繰り出すお人だってのに。”
見た目そのまま、いかにも奥行きの深い賢者の如くに。幾重にも錯綜さした論を展開させも出来、激しいディベートにも打たれ負けはしないほど、芯が強くて辛抱強くもある人が。何でまた七郎次相手だと、こうも判りやすく不器用になる勘兵衛であることか。前科もさんざん見せられて来てのこと、またですかとばかりに おやおやと身を竦めてしまったところが。
「…久蔵?」
七郎次のお膝に乗っていた小さな存在が、不意にぴょこりと飛び降りる。林田の眸には小さな鞠みたいな毛糸玉、キャラメル色した綿毛もかくやとしか見えない仔猫。それがいかにもしなやかにその身を伸ばし、音もなくの身軽に降り立ったように見えて。動作こそ一丁前だったけれど、寸の足らない身であることが加味されてだろ、てことこ歩くだけでも何とも愛らしい所作や何やへ、自分もふっと胸底をくすぐられたほどだったから。彼がじゃれかかれば、もしかしたなら…この場の空気の堅さを絆してくれるかも。その程度の感慨で見やったらしかったが、
「…?」
とてとてと、ローテーブルの角を回って来た坊やを、勘兵衛もまた何用かと見守ったところ。こちらは幼い坊やに見えてるその姿が、よいちょと手をかけたのが当の勘兵衛の膝頭へ。そのまま身軽にぴょいっとひとっ飛びしたのは、さすがに幼子らしくはないバネで成したことではあったれど。そんな格好で壮年殿のお膝へひらりと飛び乗った久蔵、
「きゅ…?」
どこか表情が硬いので、いかがしたかと勘兵衛が訊こうとしたそのお顔へと、
―― ひゅっ、と。
宙を翔って飛んで来たのが、そりゃあ小さな猫パンチ。小さな小さな柔らかな手が、間合いも位置もお見事に、勘兵衛の精悍なお顔の…頬の真ん中へぺちりと当たって。
「え?」
「…あ。」
居合わせた残りの二人が息を呑む。無論のこと、一番驚いていたのは勘兵衛自身。
「な…。」
何があったか、若しくは何をしやるかと言いかかったらしい声が、飛び出したのを封じるように。小さなお手々での狼藉は引き続き。ぺしぺしぺしと、片手でのものながら、数発ほどが連打され、
「こ、これっ、久蔵。」
一体何をしておりますかと、やっとのこと我に返った七郎次が立ってゆき、こらこらと抱き上げての遠ざけて差し上げれば、呆然としている勘兵衛の傍らから沸き起こったのが、横手に当たる位置のソファーへと腰掛けていた、林田の高らかな笑い声であり。
「あっはっはっは。いや、これは傑作だ。」
「ヘイさん…。」
勘兵衛ほどの納まり返った大おとなが、だってのに不貞腐れたその揚げ句、仔猫に叩かれて正された。そんな一連の流れをさして、可笑しいと笑い転げているのは明白で。
「〜〜〜。」
ますますのこと眉間を曇らせた勘兵衛だったが、それがまた笑いの発作のスイッチとなる。
「勘兵衛殿が怒っていることを認めぬからでしょに。」
そんなお顔になるのが悪いと、何とか発作的な笑いようは押さえての、それでも日頃のえびす顔、もっと笑みほころばせての言い重ねれば、
「…怒っておらぬのだから、しょうがなかろう。」
おやおや、まだ強情を張りますか。これには七郎次もありゃまあと呆れ。呆れたその拍子、腕が緩んだ隙をつき、久蔵が再び飛び降りてゆき、その堅いめのお膝へと飛び乗った。
「ほら。キュウゾウも怒っていると言ってますよ?」
「怒ってはおらぬ。」
「〜〜〜〜。」
二人の会話を追うように、うるるるる……と微かに喉奥震わせているのは、機嫌がいいからじゃあなさそうだ。そこはさすがに、和子の姿としてその表情が見えずとも読み取れたらしい林田が、またぞろ猫パンチが降るかもと、首を竦めがちにしたところが。
「そうさな。少しは怒ってもおるか。」
おや。ここに及んで、意地を張るのはそれこそ大人げないとでも思ったものか。それにしては、妙に厳かな表情のまま、勘兵衛がうんうんと何度か頷いて見せた。それへと、はっとした七郎次や林田の放った気配が伝わったものか、
「???」
久蔵の動作もまた、ひたりと止まった…そんな間合いを逃すことなく。後足でよいちょと立ち上がってた仔猫さんの、か細い胴回りを両手でひょいと捕まえた勘兵衛、
「久蔵、お主、今朝方 儂の腹の上でさんざ跳びはねて起こしてくれたよの?」
「みゃっ?!」
今度は怖い怖いお顔をわざとに作って、間近になってた幼いお顔へじりと寄せ、お前にこそ怒っておりますという、そんな空気を醸して見せたものだから。
「にあにあっ。」
「おおお、凄いですねぇ、通じてますよ?」
林田があははと笑ったその通り、腰が引けての打って変わってじたばたもがき、逃げ出そうとする小さな存在、こらこら逃がすかとぎゅぎゅうと抱きしめる御主へ向けて、
「勘兵衛様、調子よく話をすり替えないで下さいませ。」
七郎次が脱力気味に窘めたのは言うまでもなかったのだった。
◇◇◇
話が後日へすっ飛ぶが。こたびの本題、物騒な猫連れの空き巣の話はどうなったかと言えば。数日後に、あの腰の低い若造刑事さんがわざわざ訪ねて来て下さって、本当は口外してもいいことじゃあないながら、不快な想いをさせたのだからと特別に顛末を教えて下さった。
『それが…何と言いますか。』
こちらへお伺いした翌日の晩ですか、被害の出ていた住宅街で、こんな季節に妙に猫の鳴き声がするという知らせがありまして。保健所の管轄じゃあないかと思いつつも、猫というのは気に掛かるからと、私たちも出向いてみたところが、
『ゴミ捨て用の、指定収集袋を裂いて作ったような輪の中へと、
ぎゅうぎゅうに縛られて、電信柱の真下へ座り込んでる男がおりまして。』
顔やら首回りやらを、鋭い爪でさんざんに引っ掻かれていたが、傍らにあったケージの中のキジ柄のネコには、そんなことをした跡、爪の汚れや何かは全くの無し。意識がないのを揺り起こしたところが、
『猫が…黒いのと茶色のとが、
そりゃあすばしっこく襲って来たなんて口走る始末でして。』
なに、落ち着かせるとすぐにも正気に戻ってしまっての恐れ入り、空き巣や連れ去り未遂を認めました。今は傷の手当てのために入院させてますが、心身に問題があっての犯罪とは言えませんから、このまま起訴と運ぶことでしょうと。一通りの経過を説明してくれてから、
『それと。どうしてまた、あんな遠いところでの犯行に、こちらの猫と同じ名前をつけた猫を持ち出したのかも解りました。』
昨年のクリスマス前に、駅前の広場で市が主催したカーニバルがあったでしょう? そこで、あなたとそちらのキュウゾウちゃんを見かけたらしいのですよ。
『来る人来る人、そりゃあ無警戒になってしまい、あなたや猫へ寄ってゆくのが手品みたいで。それで、ああこりゃあ使えるなと思いついた、その切っ掛けになった猫ちゃんだったからだと…。』
それと、あなたの人あしらいもお上手だったんで。仰っしゃりようをまんま真似たというのもあってつい、猫もキュウゾウと呼んでたらしいんですと。判ってみれば呆気ない、関わりとさえ呼べないような、単なるはた迷惑だったりし。
『連れてた猫はどっかから借りたらしく、手渡そうにも見ようともしない。』
そうまでの怯えようをしたってのは、やはり猫に襲われでもしたものか…なんてのは、誰も信じちゃあいないのだけれど。だったらだったで…誰かが勝手に成敗したというなら、それもまた暴行行為になるので調べなきゃあいけない。その旨を言って、事情を聞き取ろうとしても、そんな奴は知らないとかそんなの俺には関係ないと強硬に拒むので、そちらは立件すら難しいままにうやむやになってしまいそうですと。それはそれで、警察としては失点であるからか、少々しょっぱい顔になり、帰って行ったのがそれから数日後のこととなる。
……………………で。
久蔵でも嗅ぎ取れたほどの判りやすさで、勘兵衛が憤然と怒っていたのは。七郎次を大上段から見下しての振り回したような、警察の態度の不遜さへというよりも…勘兵衛の不興を招いたようなことは何でも、自分の力不足のせいだと、ひとからげにして引き受ける七郎次だということへ。
「よしか?
何でもかんでも自分のせいだと負うてしまうは、ある意味で立派な傲慢ぞ?」
形勢逆転、久蔵をさんざ慌てさせてから、あらためて そうと窘めた壮年殿。
「第一、庇われた者を甘やかすだけかも知れぬ。叱咤して正してやることは、確かに施す側にも痛いことだが、それを恐れていては結局鈍ったものしか育ちはせぬ。」
滔々と語ったそれへ、
「…はい。」
こちらもまた、殊勝に頷き、頭を垂れた七郎次ではあったれど。
“………ダ〜メだ、こりゃあ。”
その一部始終を見ていた林田に言わせれば、
“何でもかんでも、惚気やいちゃいちゃにしかならないのだものなぁ。/////”
まま、今回のような話はそうそうあるこっちゃあなかろうし。ささやかな事件や騒動に対してならば、相手へのためになることかどうかも、ちゃんと考えるシチさんだろうしと。悪いほうへは流れるまいとの見定めも新たに、
「それじゃあ企画への寄稿、よろしくお願い致します。」
「…っ!」
少々故意に、大きな声で話しかけ、二人の世界へ浸りかけてたご両人を叩き起こした敏腕編集者、すたすたとした歩みで玄関へ向かう。
「あ、ちょ…ヘイさんっ。」
夕食食べてって下さいよと何とか続けかけた七郎次へは、遠慮しときますとすっぱと返して。
「これから創刊記念の内輪の呑み会もありますし。」
これはホント。しかも、会場は島田センセの昔馴染みさんが経営の、そりゃあ楽しいお店なので、林田くんとしては心から楽しみにしてもいて。唯一とてとてと玄関までをついて来ていた小さな猫さんへ、靴を履いてから振り返り、
「これからも大変だねぇ、久蔵。」
人としては十分頼もしいのに、微妙に世間知らずだったりもして。妙なところでバランスが取れてる困った二人。でも、いい人たちだから安心しなねと、お耳とお耳の間に手をのっけ、よしよしと撫でて差し上げれば。いかにも機嫌が善さそうに、ふにふにとそのお顔をそちらからも擦り寄せて来たその挙句、
―― にあ・なーう、と。
いいお声で鳴いてのお見送りをしてくれて。じゃねと手を振り、ドアを開け、も一度振り返ったその瞬間、
“………あれ?”
一瞬だけ。天窓からの光のせいか、仔猫がいた周辺も照らされての明るくなって。そこに小さな坊やが居たように…見えたような見えなかったような、そんな心地がした林田くんだったそうな。
〜Fine〜 09.01.20.
*ちょいとややこしいお話でしたかね。
書きたかったのは、勿論のこと、
怒ってないと強情を張る勘兵衛様へ、猫パンチする久蔵ですvv(笑)
犯人への天誅を食らわした2匹のうちの片方は、
誰かさんから加勢を頼まれた呉服屋の誰かさんだと思われ。
「あら、ヒョーゴさん。
今宵の夜遊びはなんだか血なまぐさかったようですのね。」
《 ………っ。》
妙に察しのいい女将さんから、そんな言われようをされてたり。(苦笑)
めるふぉvv **


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